時津風部屋での急死と行政解剖
相撲界が揺れている。どうやら相撲界では公然のリンチであった「かわいがり」で17歳の少年が急死した。文科相の進言を受け、相撲協会は重い腰をあげ、時津部屋親方の解雇を決めた。
詳しい事情は知らないのだが、報道の範囲では、「遺体の損傷を見たご家族が行政解剖を依頼した」とある。では、最初に死亡診断をした医師は、一体何をしたのだろう?
急死と全身の打撲。これは明らかに変死と言えるのではないか?医師法によると変死の場合には警察の届け出が必要だろう。そして剖検が必要になると思われる。最初の医師は、この手順を省いたのか?わざとなのか?
医師と時津風部屋に何らかのつながりがあったからこそ、剖検をしなかったのではないか?もしも、時津風部屋が望んだ火葬での帰宅をご家族が了承していた場合、真実は闇に葬られたのだ。死因を解明するべき医師が、それを隠匿する。医師としての倫理に欠けているように思えるのだがいかがだろうか?もし、隠匿の意志がなかったとしたなら、能力に欠けていると言うことになるのではないか?
監察のシステムの整備と医師のレベルアップが求められている。「死人に口なし」。不慮の死、不遇の死、無念の死を遂げた死者たちの、無言の訴えを聞く場所はそこしかないのだ。
コムスンショック
介護保険制度に激震をもたらしたコムスン。これは同時に、鳴り物入りで始まった介護保険の弱点を明らかにしただけでなく、現代社会の欠点を浮き彫りにしたように思う。このコムスンショックの原因はどこにあったのか?
平成12年4月、介護保険は「家族による介護」から「社会的介護」という理想を掲げてスタートした。新制度開始に伴う増税から目をそらすために、当初は大盤振舞で、当時の利用者の方々は少ない負担で多額のサービスを受けることができた。その頃は、「保険あってサービスなし」の地域も多く、厚生労働省はその批判回避に躍起であった。その意図と合致したのが、全国展開をもくろむコムスン。コムスンは厚生労働省の後押しを受け、採算のとれない地域にも拠点を拡げていった。
介護保険破綻の可能性が囁かれ始めたのは、それからまもなくのことだ。少子化の傾向が続く中、団塊の世代の高齢化の時期に、一挙に増加が見込まれる介護保険利用者。財源の確保が困難になるのは目に見えていた。
そこで、国はサービス抑制に舵を切った。「社会的介護」は成り立たず、まずは「個人・家族の自助努力」が要求されるようになった。そのあおりを受けたのが、訪問介護であり、その中でも家事援助(現在は生活援助)の分野である。介護報酬は、大幅に減額となり、援助範囲も限定された。それが、人件費の抑制につながり、ただでさえ不安定な雇用であるヘルパーさんの家計を直撃することとなる。独居・高齢者世帯に不可欠なサービスであり、在宅サービスを支える柱だったはずなのに。ただ、訪問介護の分野を食い物にしていた事業所が、コムスン以外にもあったことは否定できない。それが結果的にきちんとやっている事業所の首を絞めることとなった。
今回のコムスンに、大きなルール違反があったのは間違いない。指定取り消しという処分を避けるため、事業所を廃止。社会的な責任を回避しようとしたのだ。だからこその、大きなペナルティ。しかし、介護保険制度創設時、厚労省はコムスンを支持し、車軸の両輪として進んだのではなかったか?それがため、指導・監督を怠ったのではなかったか?それが、コムスンに見通しの甘さを与えたのではないだろうか。官僚は数年で変わる。そして、厚労省とコムスンは袂をわかった。
さて、最近は下火になったコムスンニュースだが、一時期の報道で枕詞のように伝えられていた言葉がある。曰く、「福祉の気持ちを忘れてはならない」
「福祉の気持ち」って、いったい何なんだ?規制緩和で民間が参入した介護の分野。そこに、ビジネスチャンスがあるからこそ、民間が参入したのだ。ビジネスと割り切って何がいけない?ルールを守り、やるべきことをきちんとやるなら、「福祉の気持ち」がなくともいいのではないだろうか。「福祉の気持ち」という言葉のはしばしに、「医療福祉分野に携わる人には、奉仕の精神が必要」という意味があるように思えてならない。「利潤を追求せずに、無償奉仕するくらいの気持ちでやれ」そう言う意味なのだろうか?それならば、税金だけでやればいい。
また、コムスンの「成果主義」が批判を浴びていた。勿論、なりふり構わず利用者を獲得するというその手段は間違っていたが、今や、一般企業では「成果主義」は当たり前。「成果主義」のどこが悪い?成果主義を導入しアメリカ型社会を目指しているのは、ほかならぬ国ではないのか?
訪問介護の分野では、非常勤のヘルパーさんが多い。拘束時間が長く、休暇が取りづらい。しかし、担当している利用者の入院やショートステイ等でサービスが提供できず、一定の収入の確保が困難。過酷な労働条件の割に、一律の低い報酬。安定した収入が見込めない。経営者だって、無い袖は振れないだろう。儲けは、必要なのだ。利用者に転嫁するシステムを作り、規制緩和をすすめたのは国ではないのか?
そこで、今一度問いたい。「福祉の気持ち」の定義とは?
今後、コムスンの事業は他社に引き継がれる。大規模に新規分野を開拓していたコムスン。すでにインフラが整備されている有料施設系は、利益を出すと見込まれ、後釜を狙っている企業も多い。そう、ビジネスチャンスなのだ。利潤を追求し、その事業を買い取れる企業が、コムスンを買うのだ。売却先は今後の審査次第とはいえ、国は、これらの矛盾になんらかの答えを出せるのだろうか?
経管栄養は治療か、食事か?
経管栄養という言葉をご存知の方は、多いと思う。
何らかの理由で口から食物を摂取できなくなった方への、一時的あるいは永続的な栄養補給の手段である。具体的には、鼻(鼻腔栄養)から、あるいは穴を開けた胃から(胃瘻)チューブを通す。そのチューブから、栄養剤や水分を注入するというしくみである。点滴よりも簡便・安全であり、多くの方が経管栄養を利用し在宅療養を行っている。
経管栄養の普及に伴い、在宅療養の幅は拡大した。そして、在宅での個々のライフスタイルに合わせて、さまざまな試みや研究がなされ、問題点が改良されつづけている。そのために尽力されている方々の功績は素晴らしいと思う。興味のある方は、わたしもよく利用させていただいている下記のリンクをご覧ください。
http://www.peg.or.jp/index.html
とはいうものの、今回お話ししたいのは、経管栄養の普及についての賛美ではない。
表題にあるように、経管栄養は治療なのか、食事なのかという事である。
ちなみに、上記サイトでは食事という位置づけであるように思う。
当訪問看護ステーションで、現在経管栄養を利用されている方の多くは、高齢者の方々である。いわゆる、のみこむ機能(嚥下機能)が加齢に伴い低下した方々だ。今回は、経管栄養の是非については問わない。誤解を避けるため、自然経過で嚥下機能が落ちた方々が、在宅療養をしている場合と限定して書かせていただく。
栄養剤には、医療保険がきく治療扱いのものと、医療保険の対象ではない食事扱いのものがある。医療保険の対象でないものは、医師の処方箋は必要ないため、スーパーなどで入手可能な場合もある。
先月、胃瘻を増設された二名の方が、在宅療養を開始した。共に、食事扱いである栄養剤の指導を受けていた。こちらも、あくまでも食事の一環であると認識し、指定された以外の流動食や反固形化の指導を行っていた。
その二家族から相談を受けた。「薬局で、医療保険のきくタイプのものがあると聞いたが、それに変えることはできないか?」
結論を言うと、主治医の考え方次第であるし、ご家族の意向を無視するわけにはいかない。そんなわけで、医療保険のきく栄養剤に変更となった。
当ステーションには、不幸にして永眠された方の栄養剤が、行き場がないまま預けられることがある。一度処方された栄養剤は、メーカーも薬局も引き取ってはくれない。たまたま食欲がない人に対して、お譲りすることもあり、重宝する場合もあるもののそれは稀である。消費期限もあるため、それらの多くはゴミとなる。
こういう経験をお持ちの同業者の方、いらっしゃいますか?
医師は、その家族がどのくらいの在庫を抱えているまでは把握しない場合が多い。ご家族も、多めにあればいざというときに安心なため、必要量より多めに抱え込む人が多い。そして、それらがある時を境に、大量の廃棄物となるのだ。
現在、破綻しかかっていると言われる医療保険から、その9割〜7割が補填されているにもかかわらず。
余談だが、身体障害者の取得基準をご存知だろうか?いくつかの利点を受けることのできる1級は、「四肢機能の全廃」も基準の一部であり、はっきり言うと介護保険で要介護5の認定を受けている方の多くはこの基準をクリアする。それが加齢による自然経過であったとしても。
上記二家族は、今回の入院にあたって、その障害者手帳を取得していた。各市町村によって助成の幅は違うものの、保険診療の薬剤費として栄養剤の助成を受けることは可能なのだ。介護保険を利用し、1割負担でさまざまなサービスを受けられるにもかかわらず。ほんの一例ではあるものの、結果として障害者施策の予算を圧迫し、介護サービス適応でない方々も含めての助成が減額されることになる。塵も積もれば山となるのだ。
さて、元の話題に戻ろう。難病等の病気や、合併症により完全に電解質等が管理される必要のある方々にとって、経管栄養は治療であるだろう。加齢による機能障害であったとしても、病院でその栄養量を調整している場合には、やはり治療と言って差し支えないだろう。
だが、経管栄養を利用し、在宅で安定した生活を営んでいる多くの高齢者の方たちにとって、栄養剤は治療なのか?食事でいいのではないか?食費として負担するのが妥当だと、病院は指導できないのだろうか?薬局は、なぜわざわざ医療保険を適用するように指導するのだろうか?メーカーには、多くの人の保険料から捻出されている貴重な薬品という認識があるのだろうか?
一ヶ月ほど前、新聞の記事に「これ以上の医療費抑制は無理」という大意の記事があった。(リンク先不明で失礼)社会的に、なにを治療とみなしていくのか。そこを考えないまま、一律の議論が進んでいる。そこに、一番大きな問題がひそんでいると思う。






